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                東京メトロ 千代田線 千駄木駅   
                 
                (谷中銀座〜日暮里駅〜谷中霊園〜上野寛永寺〜入谷朝顔市〜入谷駅 
                 
                【撮影記録】 
                平成26年 7月 8日 晴れ 
                10:15〜11:30 5,100歩(歩行距離 概算 3.6km 地図上 3.6km) 
                 
                腰痛対策でごく短距離を歩くこととした。今年は豪雨や台風続きで、珍しく晴れたので入谷朝顔市を歩いた。30℃を超す暑さと、久しく歩いていないことの疲れとで結構厳しいものがあった。 | 
      
      
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        不忍通り 団子坂下交差点で右折、都道神田白山線(三崎坂)へ   
                 
                交差点で左折すると団子坂となり、上った所に森鴎外 観潮楼跡の森鴎外記念館がある。森鴎外生誕150年を記念して、旧居「観潮楼」の跡地に建てられた記念館。鴎外は明治25年から大正11年に亡くなるまでここで過ごした。小説家、戯曲家、評論家、翻訳家、陸軍軍医と、いくつもの顔をもつ鴎外の作品や遺品などが展示されている。 
                             団子坂は、潮見坂、千駄木坂、七面坂の別名がある。              「千駄木坂は千駄木御林跡の側、千駄木町にあり、里俗団子坂と唱ふ云々」   (御府内備考)  「団子坂」の由来は、坂近く団子屋があったともいい、悪路のため転ぶと団子のようになるからともいわれている。また、「御府内備考」に七面堂が坂下にあるとの記事があり、ここから「七面坂」の名が生まれた。「潮見坂」は坂上から東京湾の入江が望見できたためと伝えられている。 
                 幕末から明治末にかけて菊人形の小屋が並び、明治40年頃が最盛期であった。また、この坂上には森鴎外、夏目漱石、高村光太郎が居住していた。 | 
      
      
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        都道神田白山線(三崎坂) 次の交差点で左折、よみせ通りへ   | 
      
      
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        谷中 よみせ通り 福丸饅頭(名物10円まんじゅう)   
                 
                1個10円の小さな饅頭で有名な店である。但し10個単位でしか買えないので、実際は100円饅頭である。 
                 
                この一帯はよみせ通り商店街ではあるが、コンビニや魚屋などがある普通の商店街である。 | 
      
      
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        谷中 よみせ通り アーチ   
                 
                よみせ通りはこのアーチから始まると言ってよく、不忍通りの東側に並行する商店街で、その途中に谷中ぎんざの入口があり、北出口は道灌山通りで右折すると西日暮里駅に向かう。 
                 
                ゲート中央にはよみせ通りの出口近くにある延命地蔵尊が描かれている。 | 
      
      
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        谷中 よみせ通り 谷中ぎんざ入口   
                 
                よみせ通りの途中に谷中ぎんざの入口があり、春や秋にはガイドマップを片手に中年女性のグループで溢れ返る。 | 
      
      
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        谷中ぎんざを東進   | 
      
      
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        谷中ぎんざを東進   | 
      
      
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        谷中ぎんざを東進   
                 
                谷中ぎんざの出口にもゲートがあり、その先に夕やけだんだんが見える。 | 
      
      
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        谷中ぎんざ 夕やけだんだん   
                 日暮里は江戸時代に「ひぐらしの里」と呼ばれるほど夕焼けの美しい所で、「夕やけだんだん」は一般公募で名付けられた。谷中ぎんざ商店街を舞台としたNHKの連続テレビ小説「ひまわり」で有名になった。 | 
      
      
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        谷中ぎんざ 夕やけだんだん   
                 
                夕やけだんだんを上った所に桜の老木があり、地域の名物となっていたが、倒壊の危険があり、3年前(平成23年)に桜が散った後に切り倒された。 | 
      
      
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        夕やけだんだん坂上 御殿坂 経王寺   
                  経王寺は日蓮宗の寺院で山号を大黒山と称す。                           明暦元年(一六五五)、当地の豪農冠勝平(新堀村の名主冠権四郎家の祖)が要詮院日慶のために寺地を寄進し、堂宇を建立したことに始まるという。本堂の隣の大黒堂には日蓮上人の作と伝えられる大黒天が鎮守として祀られており、地域の人々の崇敬を広くあつめている。 
                 慶応四年(一八六八)の上野戦争のとき敗走した彰義隊士をかくまったため、新政府軍の攻撃をうけることとなり、山門には今も銃弾の痕が残っている。 | 
      
      
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        夕やけだんだん坂上 御殿坂 経王寺   | 
      
      
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        夕やけだんだん坂上 御殿坂 経王寺 山門に残る上野戦争時の弾痕   
                 
                大人の親指ほどの大きな穴である。 | 
      
      
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        夕やけだんだん坂上 御殿坂 経王寺   | 
      
      
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        御殿坂 月見寺(本行寺)   
                 
                夕やけだんだんから更に東進すると桜並木の御殿坂となり、坂を下った所に日暮里駅がある。 | 
      
      
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        御殿坂 月見寺(本行寺)   
                  本行寺は、大永六年(一五二六)江戸城内平河口に建立され、江戸時代に神田・谷中を経て、宝永六年(一七〇九)、現在地に移転した。景勝の地であったことから通称「月見寺」ともよばれていた。二十世の日恒上人(俳号一瓢)は多くの俳人と交遊があり、小林一茶がしばしば当寺を訪れ、「青い田の露をさかなやひとり酒」などの句を詠んでいる。 | 
      
      
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        御殿坂 月見寺(本行寺)   | 
      
      
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        桜並木の御殿坂   
                 
                坂を下った所に日暮里駅がある。 
                 文政十二年(一八二九)に成立した「御府内備考」には、「感応寺後と本行寺の間より根津坂本の方へ下る坂なり」とあるが、「根岸」の誤写の可能性がある。明治五年「東京府志料」には、長さ十五間(約二七・三メートル)幅二間(約三・六メートル)とあるが、現在の坂の長さは五十メートル以上あり、数値が合致しない。以前は、谷中への上り口に当たる急坂を「御殿坂」と呼んだが、日暮里駅やJRの線路ができた際に消滅したため、その名残である坂の上の部分をこう呼ぶようになったと考えられる。俗に御隠殿(寛永寺輪王寺宮の隠居所)がこの先にあったからといわれるが、根拠は定かではない。 | 
      
      
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                桜並木の御殿坂   | 
      
      
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        御殿坂 JR 日暮里駅 旧駅舎西口   
                 
                日暮里駅は大改造され、趣は一変している。 
                 
                西口横に小階段があり、上って谷中霊園に入る。 |