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三ツ目通り 東駒形三丁目東交差点
右角に東駒形消防署の出張所がある。 |
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三ツ目通り 本所三丁目交差点で春日通りを渡る |
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三ツ目通り 石原三丁目交差点で右折、蔵前橋通りへ |
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三ツ目通り 石原三丁目交差点で右折、蔵前橋通りへ |
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蔵前橋通りを西進 |
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蔵前橋通り 石原一丁目交差点で左折、清澄通りへ
清澄通りはほとんど言われないが、二ツ目通りでもある。渡って左側に旧陸軍被服廠(横網町公園)がある。 |
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清澄通り 旧陸軍被服廠(横網町公園)
横網町公園は旧陸軍被服廠跡で、関東大震災で約4万人がこの地で焼け死んだため、震災慰霊堂が作られた。合わせてその後の復興を記念する復興記念館も建てられた。その後、約10万人が焼け死んだと言われる昭和20年3月10日の東京大空襲の身元不明者も合わせ、約17万人の遺骨が安置されている。名称も、昭和26年に東京都慰霊堂となった。
私が子供の頃、祖母から生まれて間もない母を背負い、幼子3人の手を引いて下町を逃げ惑ったと大震災の話をよく聞かされた。 |
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清澄通り 旧陸軍被服廠(横網町公園) 菊花展
奥に東京都慰霊堂があり、その前の菊花展の立て看板の横に、今年の猛暑で菊の生育が悪く、出展数が激減したことのお詫びが掲示されている。 |
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清澄通り 旧陸軍被服廠(横網町公園) 菊花展
見るも無残な出展数で、これだけである。 |
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清澄通り 旧陸軍被服廠(横網町公園) 菊花展
本来は多くの懸崖が展示されていただろうに、と今年の猛暑の影響をお思い知らされた。 |
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清澄通り 旧陸軍被服廠(横網町公園)
銀杏並木の右奥に復興記念館が見える。 |
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清澄通り 旧陸軍被服廠(横網町公園) 復興記念館 |
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清澄通り 旧陸軍被服廠(横網町公園) 震災時の猛火と熱風で溶解した丸善ビルの鉄柱
復興記念館横にいくつもの遺構が展示されており、まるで現代美術のモニュメントである。 |
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清澄通り 日大一中、一高
横網町公園の先で、かつては高校野球の雄だった。 |
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清澄通り 置いてけ堀・御竹蔵跡
日大一高の壁際に設置されている。
この辺りには、幕府の資材置き場だった御竹蔵があり、その周りには掘割がありました。
ある日、町人がこのあたりの堀で釣りをしたところ、たくさん魚が獲れたので、気を良くして帰ろうとすると、堀の中から「置いてけ!」という怪しい声がしました。逃げるように家に帰って、恐る恐る魚龍をのぞくと、釣れた魚が一匹も入っていませんでした。
これが、本所七不思議の一つ、「おいてけ堀」の話です。話の内容や場所には諸説があり、おいてけ堀は「錦糸堀」との説もあります。
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清澄通り 江戸東京博前交差点 北斎通り
三叉路で、左折するとかつては葛飾北斎生誕の地碑があった。街灯が和風の行燈風で、それぞれに北斎の代表的な版画が街歩き「北斎ギャラリー」として飾られている。北斎通りは野見宿禰神社を経て、錦糸町まで続く。 |
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清澄通り 江戸東京博物館 |
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清澄通り 緑一丁目交差点で右折、京葉道路へ |