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コツ通り(吉野通り)〜南千住駅〜小塚原回向院・延命寺

【関連サイト】   日比谷線H1912
   

江戸の刑場巡りH2209(小塚原 延命寺〜小塚原 回向院〜南千住駅)

江戸時代の有名人の墓所(小塚原回向院、小塚原刑場遺跡)


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コツ通り(吉野通り)を南下 コツ通り(吉野通り)を南下 

コツ通りの由来については、下の写真の説明にあるように『「小塚原(こつかっぱら)」の略称を冠して「コツ通り」と呼ばれている。』との説である。

しかし、よく聞くのは小塚原刑場に因み、骨(コツ)だ、との説である。このほうがしっくり来る。
コツ通り(吉野通り) 日光道中 コツ通り(吉野通り) 日光道中 

 日光道中は、日本橋を起点に日光を終点とする江戸時代の五街道の一つである。日光街道ともいう。地元では、周辺の古い地名「小塚原(こつかっぱら)」の略称を冠して「コツ通り」と呼ばれている。
 寛永元年(一六二四)、幕府により整備が始められ、全国的な主要幹線として多くの人馬が行き交った。区内では、現在の泪橋交差点から千住大橋までの道筋がこれに相当する。江戸の入口にあたり、日光道中の初宿である千住宿(下宿)が置かれた。
 明治六年(一八七三)からは国道陸羽街道と称し、主要幹線として機能したが、昭和二十七年(一九五二)の新道路法の施行により、特例都道第464号言問橋南千住線となった。
 なお、昭和三十七年以来、日光街道の名称は、国道四号線の宇都宮以南の東京都通称道路名として使われている。
コツ通り(吉野通り) 常磐線高架 コツ通り(吉野通り) 常磐線高架 

常磐線、その後に日比谷線の高架があり、コツ通りは地下道で南北をつなぎ、歩行者は陸橋で横断する。

左の高架下に日比谷線の南千住駅があり、交差点で左折すると常磐線とつくばエクスプレスの南千住駅がある。
右の壁に葵の御紋が飾られた建物が小塚原回向院である。
東京メトロ 日比谷線 南千住駅 東京メトロ 日比谷線 南千住駅 

コツ通り(吉野通り)の向いには小塚原刑場だった延命寺があり、そこから北に向かった所に回向院がある。
コツ通り(吉野通り) 突き当りで右折し、北上 コツ通り(吉野通り) 突き当りで右折し、北上 

手前の高架が常磐線、左の高架が日比谷線である。右折した所に延命寺があり、さらに右折して元来た道を北上、戻って回向院に向かう。
コツ通り(吉野通り) 小塚原 回向院 コツ通り(吉野通り) 小塚原 回向院 

小塚原回向院は日比谷線南千住駅傍にあり、両国回向院の別院である。来歴によると、小塚原で処刑された罪人は両国回向院に葬られたが、手狭になりここに葬られた。
江戸時代の処刑者は20万人と言われ、安政の大獄で処刑された吉田松陰、橋本左内を始め、ねずみ小僧、直侍、最後の処刑者 高橋お伝などの墓がある。
小塚原 回向院 小塚原 回向院 

回向院は、寛文七年(一六六七)、本所回向院の住職弟誉義観が、行路病死者や刑死者の供養 のために開いた寺で、当時は常行堂と称していた。
 安政の大獄により刑死した橋本左内・吉田松陰・頼三樹三郎ら多くの志士たちが葬られている。
 明和八年(一七七一)蘭学者杉田玄白・中川淳庵・前野良沢らが、小塚原で刑死者の解剖に立ち合った。後に『解体新書』を翻訳し、日本医学史上に大きな功績を残したことを記念して、大正十一年に観臓記念碑が建立された
小塚原 回向院 吉展地蔵尊 小塚原 回向院 吉展地蔵尊 

入口左にあり、昭和38年に誘拐、殺害された男児の慰霊の地蔵尊である。

男児の遺体は上野彰義隊の遺構で有名な円通寺で発見され、門前に金銅 子育地蔵尊が建てられている。
小塚原 回向院 史跡参拝所 小塚原 回向院 史跡参拝所 

約8年前に始めて来た時にはねずみ小僧などの墓は入口手前にあった。このような整備されたものではなかった。

史跡参拝所の入口から2.26事件の磯部浅一元大尉夫妻、相馬大作供養碑、最後の処刑者の高橋お伝、片岡直三郎(直侍)、鼠小僧次郎吉の墓がある。奥には安政の大獄により刑死した橋本左内、吉田松陰、頼三樹三郎ら多くの志士たちが葬られている。
コツ通り(吉野通り) 小塚原処刑場跡(延命寺) コツ通り(吉野通り) 小塚原処刑場跡(延命寺) 

元は小塚原回向院であったが、明治28年(1895年)に常磐線の建設のため分断され、昭和57年(1982年)に延命寺として開山された。
小塚原処刑場跡(延命寺) 小塚原処刑場跡(延命寺) 

江戸のお仕置場(刑場)は、品川の鈴ヶ森と千住の小塚原の二つである。
小塚原の刑場は、間口六十間余(約百八メートル)、奥行三十間余(約五十四メートル)で、明治のはじめに刑場が廃止されるまでに、磔・斬罪・獄門などの刑が執行された。
 首切地蔵は、この刑死者の菩提をとむらうため寛保元年(一七四一)に造立されたものである。
小塚原処刑場跡(延命寺) 東日本大震災による復旧工事中の首切地蔵 小塚原処刑場跡(延命寺) 東日本大震災による復旧工事中の首切地蔵 

東日本大震災での損壊があり、復旧工事中である。

小塚原での刑死者の菩提を弔うため寛保元年(一七四一)に建立されたこの地蔵は、二十七個の花崗岩を組み合わせた全体の高さが四メートルに近い坐像で、台座には発願者・石工が刻まれている。奥州街道沿いにあったので、江戸に出入りする多くの人が目にしたという。明治二十八年(一八九五)に土浦線(現常磐貨物線)敷設工事のため線路の南側から現在地に移されたが、人々に安らぎを与えてきた慈悲の姿は変わるところがない。
小塚原処刑場跡(延命寺) 東日本大震災による復旧工事中の首切地蔵 小塚原処刑場跡(延命寺) 東日本大震災による復旧工事中の首切地蔵 

東日本大震災での損壊状況や、復旧工事のための募金が呼びかけられている。
小塚原処刑場跡(延命寺) 東日本大震災による復旧工事中の首切地蔵 小塚原処刑場跡(延命寺) 東日本大震災による復旧工事中の首切地蔵 

上段が震災前で、下段左から解体工事の様子、震災直後の状況(背面)、震災直後の状況(正面)である。
延命寺から見た日比谷線南千住駅 延命寺から見た日比谷線南千住駅 
南千住駅前歩道橋 正面に見える東京スカイツリー 南千住駅前歩道橋 正面に見える東京スカイツリー 
南千住駅前歩道橋 熱中症計は警戒 南千住駅前歩道橋 熱中症計は警戒 

現在時刻は10:50で、熱中症計は、温度(32.0℃)と湿度(28%)である。

北千住駅西口交差点では10:25で、温度(28.1℃)と湿度(36%)、注意であった。湿度は下がったが、温度は30℃を超えている。



 
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