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蟠龍寺(弁財天)〜目黒不動尊(瀧泉寺/恵比寿神)〜不動前駅

【関連サイト】   山手線五反田駅開業100周年記念ウォーク 山手七福神H231015(目黒駅〜大圓寺(大黒天)〜蟠龍寺(弁財天))
東急 目黒線H2510(目黒駅〜行人坂 大円寺〜蟠龍寺)

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目黒 山手通り 蟠龍寺(弁財天) 山手七福神案内図 目黒 山手通り 蟠龍寺(弁財天) 山手七福神案内図 

蟠竜寺は山手通りに架かる歩道橋を渡り、すこし右に進んだ所にある。
目黒 山手通り 蟠龍寺(弁財天) 参道 目黒 山手通り 蟠龍寺(弁財天) 参道 
目黒 山手通り 蟠龍寺(弁財天) 目黒 山手通り 蟠龍寺(弁財天) 

蟠龍寺と弁天様

この寺の創建は宝永6年(一七〇九)。浄土律復興のため、増上寺の高僧・霊雲上人が行人坂下の称明院をここに移し、蟠竜寺と改名された。本尊阿弥陀如来像(都文化財)・善光寺如来像が安置されている。本堂横の祠の中に山手七福神の石仏の弁財天があり、木造の弁財天は、お堂にまつってある。池の奥に「おしろい地蔵」の異名をもつ地蔵がひっそりと立つ。
目黒 山手通り 蟠龍寺(弁財天) 本堂 目黒 山手通り 蟠龍寺(弁財天) 本堂 

慶安元年(1648)開創の称名院が、宝永6年(1709)に行人坂から現在地へ移転し蟠龍寺と改称。江戸名所図会に載る名所で、東都三番札所。江戸城の裏鬼門を守る弁財天として岩窟内に石造弁財天を、弁天堂内に木造弁財天(八腎の天女像)を祀り、山手七福神の一つとされる。境内右奥の「おしろい地蔵」は美人祈願の御利益があると、役者などの信仰を集めた。
目黒 山手通り 蟠龍寺(弁財天) 目黒 山手通り 蟠龍寺(弁財天) 

目黒行人坂付近にあった称明院〔慶安元年(1648)開創〕を、増土寺の霊雲上人が浄土宗の戒律を復興するため現在地に移し、宝永6年(1709)「霊雲山称名院蟠龍寺」と改名再建されました。
次いで、寛致6年(1794)律院となりましたが、「不許辛肉酒入山門」の結界石がその名残りを今にとどめています。
本堂には本尊として「木造阿弥陀如来像」(都指定文化財)があり、天明年間(1781〜1788)に東都三番札所となり善光寺式阿弥陀三尊像も祀られています。
「江戸名所図会」にのった境内は、当時の風趣が偲ばれ、元禄11年(1698)建立の地蔵尊があります。また、山手七福神の一つであり、江戸裏鬼門の鎮守として岩窟内に石像弁財天、弁天堂内に木造弁財天(八臂の天女像)が安置されています。さらに境内には、藍蝋の歌碑や下目黒尋常小学校創立之碑などもあります。
目黒 山手通り 蟠龍寺(弁財天) 弁天堂 目黒 山手通り 蟠龍寺(弁財天) 弁天堂 

「岩窟弁天」の石碑奥に小山があり、その上に弁天堂がある。
 目黒 山手通り 蟠龍寺(弁財天) 岩窟弁財天 目黒 山手通り 蟠龍寺(弁財天) 岩窟弁財天 

本堂の右に「岩窟弁天」の石碑があり、その奥に岩窟があってその中に石造の弁財天がある。
 目黒 山手通り 蟠龍寺(弁財天) 岩窟弁財天 目黒 山手通り 蟠龍寺(弁財天) 岩窟弁財天 
目黒 山手通り 蟠龍寺(弁財天) 弁天堂 目黒 山手通り 蟠龍寺(弁財天) 弁天堂 

弁財天(岩屋弁天)

インドの水(川)の神、川の水がさらさらと流れる音色から音楽の神ともいわれる。智慧・弁才・財をつかさどり、音楽・芸術などの上達にご利益があります。
目黒 山手通り 歩道橋階段横で左折 目黒 山手通り 歩道橋階段横で左折 

普段は山手通りを南下し、羅漢寺交差点で右折して海福寺、羅漢寺と巡って目黒不動尊の仁王門に向かう。今回は蟠龍寺前にある歩道橋の階段横を左折して目黒不動尊の裏に出る。
目黒 住宅街を西進 目黒 住宅街を西進 
目黒 突き当りの不動公園で左折 目黒 突き当りの不動公園で左折 
目黒 不動公園 突き当りで左折、青木昆陽墓所へ 目黒 不動公園 突き当りで左折、青木昆陽墓所へ 

甘藷先生として名高い青木昆陽の墓所に寄った後、目黒不動尊の北辺の遊歩道を歩いて西北から境内に入る。
目黒 目黒不動尊(瀧泉寺/恵比寿神) 本堂 目黒 目黒不動尊(瀧泉寺/恵比寿神) 本堂 

目黒不動尊(瀧泉寺/恵比寿神)の詳細については別ページにまとめた。

江戸五色不動尊は、徳川家光が天海大僧正の献策により天下泰平を祈願し、設けたもので、目黒、目白、目赤、目青、目黄である。成立年代、寺の特定などには異論がある。

目黒不動 - 瀧泉寺(目黒区下目黒) 東急目黒線 不動前駅
目白不動 - 金乗院(豊島区高田) 副都心線 雑司が谷駅
目赤不動 - 南谷寺(文京区本駒込) 南北線 本駒込駅
目青不動 - 教学院(世田谷区太子堂) 東急田園都市線 三軒茶屋駅
目黄不動 - 永久寺(台東区三ノ輪) 地下鉄日比谷線 三ノ輪駅
目黒 目黒不動尊からかむろ(禿)坂通りに出て左折 目黒 目黒不動尊からかむろ(禿)坂通りに出て左折 

かむろ(禿)坂通りは、山手通りのかむろ坂下交差点からかむろ坂を上り、小山台一丁目交差点までだったが、平成24年に延伸して26号線通り(都道420号)に接続した。
目黒 目黒不動尊からかむろ(禿)坂通りに出て左折 目黒 目黒不動尊からかむろ(禿)坂通りに出て左折 
目黒 目黒不動尊からかむろ(禿)坂通りに出て左折 目黒 目黒不動尊からかむろ(禿)坂通りに出て左折 

かむろ(禿)坂の由来

江戸時代の延宝七年(一六七九)、辻斬り強盗を重ねていた元鳥取藩士平井(白井)権八が鈴ヶ森刑場で処刑され、権八なじみの遊女小紫はこれを悲しんで自害した。
このとき、帰りの遅い小紫を探しにきたお付の禿が帰り道でならずものに襲われ、逃げ場を失い桐ヶ谷のニツ池に身を投げたという。
これをあわれんだ近くの人が、なきがらを他の傍らの丘に葬り、その後、この一帯の丘陵をかむろ山、これに通じるこの坂を禿坂と呼ぶようになったと伝えられている。
目黒 かむろ(禿)坂通り 松屋角で右折 目黒 かむろ(禿)坂通り 松屋角で右折 
 目黒 不動前駅商店街を進む 目黒 不動前駅商店街を進む 

狭い道沿いに商店街があり、進んでいくと右に東急目黒線の不動前駅がある。



 
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