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イタリア、フランス周遊H240326-0402
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成田〜イタリア〜フランス〜成田(総集編)
全日空のツアーなので成田空港の第一ターミナルの搭乗ゲートに向かい、出発まで全日空の会員専用ラウンジでくつろぐ。搭乗して12時間のフライトの後、ミュンヘン空港でトランジットして4時間半後の21時半(現地時刻)にベネティア行きの飛行機に乗る。待ち時間が長いので、軽食、酒の種類が充実したルフトハンザの会員専用ラウンジで長旅の疲れを癒す。ベネティア空港から水上タクシーでホテル入り口に着く。12時に成田を旅立ち、0時(現地時刻)にホテルに到着したが、時差を考えると19時間の長旅である。
初日の3月27日はベネティアで、大運河を進むゴンドラ、サンマルコ広場、大運河に架かるリアルト橋を掲載。28日のフィレンツェでは、ウフィッツィ美術館前のシニョリーア広場にあるダビデ像(レプリカ)、ドゥオモ広場のドゥオモ大聖堂、銅製のダビデ像(レプリカ)が立つミケランジェロ広場からの風景を載せた。29日のローマは、ヴァチカン市国のサン・ピエトロ広場、サン・ピエトロ大聖堂、ベネティア広場のヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂、コロッセオ、トレビの泉、スペイン広場とした。
30日のパリはルーブル美術館とカルーゼル凱旋門、コンコルド広場のオベリスク、オルセー美術館、オペラ座(オペラ・カルニエ)を掲載。31日はモン・サン・ミッシェルで、サン・ピエール礼拝堂前のジャンヌダルク像、尖塔を飾る大天使ミカエルとした。最終日の1日は、パリのノートルダム寺院、エッフェル塔、モンマルトルのサクレ・クール寺院、オペラ座(オペラ・カルニエ)の内部見学を載せた。
ツアーガイドから最近中国人の団体客が多く、マナーも悪いのでできるだけ早く搭乗口に来るよう指示された。そのため、折角のラウンジも搭乗口から10分以上離れていたため、すこしの時しか楽しむことが出来なかった。その上、手荷物検査が搭乗口前にあり、免税店で買ったばかりのミネラルウォーターは持ち込み制限で没収された。ドゴール空港から搭乗し、飛行機から見た東シベリアの雪原などを楽しみつつ、成田に戻る。
イタリア(ベネティア〜フィレンツェ〜ローマ)周遊H240327〜0329
【ベネティア散策H240327】
時差ボケもなく、集合の9時半まで1時間半あるのでホテルと、隣接するサン・マルコ広場界隈を散策する。ホテルの東側入口は運河に面し水上タクシー専用なので、西側から出て左折、小路を歩く。建物の高さが一定で、イタリア風の色使いの建物が並ぶホテルの東側の運河一帯を歩いた後、ホテルに戻り反対側に向かう。運河に架かる小橋を渡り、建物の抜けるとサン・マルコ広場で、奥にサン・マルコ寺院や大鐘楼が見える。
ホテルからルイヴィトンなど有名店が並ぶ小路を進み、ホテル ヴィオリーノ・ドーロ前のゴンドラ乗船場に着く。同じような建物だらけで一人ではとても歩けない。ゴンドラ1艘に5人が乗船でき、大小様々の運河を進むが、狭い所では行き違いも難しいほど狭い。運河は臭いはしないが青緑色で、建物の壁の色が変わっている所まで水が来ることになる。ゴンドラで市内を見物して大運河に出て左折する。ゴンドラでの周遊は動画でも掲載している。
残念ながら上流のリアルト橋から段々離れていく大運河沿いにゴンドラで見物し、途中で左折して運河へ入り市内見物をしていき、サン・モイぜ教会前の下船場に着く。
市内は有料トイレだらけなので市内散策をしながらホテルに戻り、出なおして隣接するるサン・マルコ広場に向かう。広場に出る角には、かつての名門企業だが今は零落感が漂うオリベッティ社の事務所がある。サン・マルコ広場の奥にサン・マルコ寺院、その左にムーア人の時計塔、右に大鐘楼が見える。大鐘楼の角で右折すると、奥に右に聖テオドーロ像、左にサン・マルコの獅子像の円柱が立ち、右のサン・ソヴィニアーニ図書館の向かいにはベネティア共和国の総督邸兼政庁だったドゥカーレ宮殿がある。
ベネティア共和国の総督邸兼政庁であったドゥカーレ宮殿の回廊に囲まれた内庭から黄金の階段を上り、そこから政庁や裁判所などの遺構があるが、撮影禁止である。黄金の階段は、白い化粧漆喰の丸天井の豊かな装飾と24金に由来する。宮殿を見物後、聖テオドーロ像、巨人の階段を経てサン・マルコ寺院(撮影禁止)を参拝してからサン・マルコ広場に戻る。
サン・マルコ広場から東進、仮面舞踏会の仮面の土産物店を過ぎ、ゴンドラ乗船場向かいのベネチアングラス製造販売店に着く。職人が製作実演を行い、その後店内で製品の種類ごとに説明、販売を行う。宿泊しているホテル(カバレット エ ドージェ オルセオロ)の前の乗船場には、観光客を待つゴンドラが集まっている。
サン・マルコ広場のムーア人の時計塔をくぐり、狭い路地を進みミニチュアの土産物店の壁に掲げられた「PER RIALTO」の表示に従い右折する。店には行進する1体40ユーロ(約4,400円)の人形や30ユーロ(3,300円)の自転車が飾られている。道なりに進み、「PER RIALTO」の表示に従い、右や左、時には建物内の道を進むが、左右両方を示すこともある。路地が広くなり小路になるとリアルト橋近傍で、18世紀のベネティア共和国の劇作家であるカルロ・ゴルドーニ(CARLO GOLDONI)像がある広場に至る。
リアルト橋の東詰から大運河風景を見つつ南側の階段を上り、四阿風の建物から商店街が並ぶ北側階段に移り、下るとサン・ジャコメート教会(San Giacometo)がある。昼過ぎで閑散としている魚市場、青果市場を経て大運河沿いに歩き、全体がよく見える大運河に架かるリアルト橋前に至る。
青果市場から左折、リアルト橋へ出て東詰へ戻る。リアルト橋近傍のカルロ・ゴルドーニ(CARLO GOLDONI)像を過ぎ、「PER S.MARCO」の表示に従い歩く。如何にもという鮮やかな赤で飾られたフェラーリ(Ferrari)のショップを見物した後、ムーア人の時計塔を抜けてサン・マルコ広場に戻る。サン・マルコ広場からホテルへ戻ると、ホテル前のゴンドラ乗船場は大混雑していた。
【フィレンツェ散策H240328】
ベネティアのサン・マルコ広場の外れにある水上タクシー乗船場から乗り、サン・マルコ運河を進み、サン・ジョルジョ・マッジョーレ島、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂、旧スタッキー製粉所と過ぎてトロンケットに着く。そこから高速バスに乗り、田園風景が続くが、ボローニャに近付くに連れ山並みが見え出し、4時間弱でフィレンツェ市内に到着する。
バスを降り、河畔にホテルが並ぶアルノ川の上流に向かって歩き、フィレンツェ国立中央図書館、アッレ・グラツィエ橋、近代美術館、ガリレオ博物館と過ぎて、名所である2階建てのベッキオ橋手前で右折し、ウフィツィ美術館へ向かう。
シニョリーア広場のヴェッキオ宮殿前にダビデ像(レプリカ)やメドゥーサの首を持つペルセウス像などが飾られているウフィツィ美術館に入る。メディチ家の美術品を収容し、その質、量ともにイタリア最大の美術館である。ウフィツィ美術館には、ポッティチェッリのヴィーナスの誕生、春を始め、何人もの画家による受胎告知や東方三博士の礼拝など、美術の教科書でお馴染みの絵画が間近に見られるが、写真撮影が禁止されているので紹介できないのが残念である。入口にはメディチ家の男子断絶により唯一の相続人で、トスカーナ政府に美術品を寄贈したアンナ・マリーア・ルイーザの肖像が飾られている。
ウフィツィ美術館からライオン通り(ヴェッキオ宮殿の裏通り)を歩き、バルジェッロ国立美術館を経てダンテの生家博物館を通り、ドゥオーモ フィレンツェ大聖堂に向かう。ダンテは13世紀から14世紀にかけてフィレンツェで政治活動をしたが、政争に敗れて永久追放となった。神曲の作家としても有名である。
ドゥオーモは大聖堂の意味で、フィレンツェ大聖堂の正式名称はサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂で、1296年から140年以上かけて1436年に建設され、現在のドームは3代目である。大聖堂はレンガ色のドームと白い外壁の対比が鮮やかで、ジョットの鐘楼、八角形のサン・ジョヴァンニ礼拝堂で構成される。大聖堂の中は見物でき、天蓋の最後の審判は見事である。
ダンテ、マキャベッリ、ミケランジェロ、ロッシーニなど著名人の墓があるサンタ・クローチェ教会からアルノ川河畔まで歩いてバスに乗る。ダビデ像(レプリカ)が飾られたミケランジェロの丘からはフィレンツェが一望できる。左にはウフィツィ美術館に隣接するヴェッキオ宮殿、アルノ川に架かるベッキオ橋が見え、中央にはドゥオーモ フィレンツェ大聖堂のドーム、右にはサンタ・クローチェ教会である。バスに乗り、市を囲む防壁の遺構を見つつホテルに向かう。
【ローマ散策H240329】
フィレンツェから高速道路に入り、約4時間後にローマ市内のピザ店で昼食を取る。9人に3種類のピザだが、1枚が日本のLLサイズの2回りも3回りも大きく、イタリアらしく大きさもバラバラである。その後バスでサン・ピエトロ大聖堂に向かう。
サン・ピエトロ広場手前にバスは停められ、そこから歩く。サン・ピエトロ大聖堂に近づくに連れ、その壮麗にして巨大さに驚かされる。サン・ピエトロ大聖堂は大聖堂を中心に、左右の巨大な柱廊が両手で参拝者を抱え込むような構造になっている。翌週の復活祭での教皇によるミサの準備が進められており、観光客だけでなく、春休みの欧州各国の小中高生の修学旅行生も多い。右の柱廊に沿って歩き、オベリスクや、スイス人衛兵、噴水、聖パウロ像と経て、大聖堂の中央の扉や聖年の扉に至る。
サン・ピエトロ大聖堂の内部は様々な絵画や像などが飾られ、カトリック教徒でもない門外漢にはピエタ像など、ごく限られてものしか分からない。聖堂に入ってすぐに閉鎖された聖年の扉の内側があり、右側廊のミケランジェロ作のピエタ像を見た後、中央身廊を進む。聖ペテロが殉教によって信仰を証した所であるコンフェッシオと教皇祭壇、壮麗な絵画が描かれたドーム、X字型の十字架で処刑され、その象徴となっている聖アンデレ像、ペテロの椅子の祭壇などを見物し、大聖堂を後にする。
大聖堂を出て右の柱廊に沿って歩き、スイス衛兵の前を通り、復活祭でのミサの椅子が整然と並べられているサン・ピエトロ広場の聖ペテロ像、噴水と進み、ヴァチカン市国との国境にもなっているピオ12世広場からバスに乗る。
サン・ピエトロ大聖堂を見物した後、コロッセオに向かう。スケジュールの都合でベネティア広場のヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂、フォロ・ロマーノ、コロッセオをバスの車中から見物後、フォロ・ロマーノの外れのコンスタンティヌスの凱旋門を10分間下車して見物する。ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世は明治4年(1871年)にイタリアを再統一した国王であり、フォロ・ロマーノは古代ローマ帝国の政治経済の中心地であった。フォロ・ロマーノ、コロッセオがほとんど見れてないのが残念である。
トレビの泉があるポーリ宮殿の手前でバスを降り、歩く。トレビの泉は中央に水を司るネプチューン、左に豊穣の女神ケレース、右に健康の女神サルースが立つが、この前に来るまでが大変で、泉の前に座り込んでいる人も多い。投げるコインの数によって叶う願いが異なり、3枚ならキリスト教では禁じられている離婚もできる。スペイン大使館があることから名付けられたスペイン広場は、トリニタ・デイ・モンティ教会までのスペイン階段が有名であるが、オードリー・ヘップバーンのローマの休日のようにジェラードを食べることは階段を汚し、転倒する事故が相次ぎ、禁止されている。
レププリカ広場(共和国広場)には ローマ皇帝ディオクレティアヌスが306年に建設した公衆浴場を、ミケランジェロが翼廊部分としたサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会があり、中央には妖精が戯れるナイアディの噴水がある。。ルイージ・エイナウディ通りを歩き、ローマ国立博物館新館のマッシモ宮、五百人広場を経て大きなターミナルであるテルミニ駅に着く。レストランで夕食をとった後、ライトアップされたベネティア広場を歩いてホテルへのバスに向かう。
フランス(パリ〜モン・サン・ミッシェル〜パリ)周遊H240330〜0401
【パリ散策(オペラ通り、ルーブル美術館、オルセー美術館)H240330】
朝6時半にホテルを出て9時前にローマ空港に着き、アルプスの雪景色を見つつ、2時間のフライトでパリのドゴール空港に着く。空港から高速道路を使ってパリ市内に出て、ホテルに荷物を預けて市内見物に出る。
パリのオスマン通りにあるホテル アンバサダーからオスマン通りを散策、大きな食料品スーパーがあるギャラリー ラファイエット百貨店に寄り、ワインや、チーズなど土産にもなる物をツアーガイドが紹介した後、解散、自由行動となる。目の前のオペラ座(北側)からオーベル通りに出て、オペラ座(西側)を歩いてオペラ座正面に出る。
オペラ座正面前のオペラ広場からオペラ通りを南下、ルーブル美術館に向かう。パリは日本のように交差点の名前が表示されていないため、地図と比べながらサン=ロック通り、ピラミッド通りとの交差点を過ぎ、ルーブル美術館前の噴水に着く。右折してサン=トレノ通りを北西に進み、名前が不明な大きな交差点で右折してピラミッド通りへ入り、明後日のパリ市内見物のオプショナルツアーの集合場所であるマイバス社を探す。ピラミッド通りを北上し、レストランROYAL OPERAがあるオペラ通りとの合流点に出て右折、オペラ通りを南下してホテル デュ・ルーブルの脇を通り。ルーブル美術館に進む。
ルーブル美術館はガラスのピラミッドのナポレオン・ホールに対し、正面(東側)がシュリー翼、左(北側)がリシュリュー翼、右(南側、セーヌ川側)はデゥノン翼と呼ばれる。金曜の14:45であるが、幾重にも重なる列を見て入場を断念した。見物には3時間かかると言われるルーブル美術館はナポレオン・ホールに入り、入場券を買って地下から3つの翼に向かう。カルーゼル広場のカルーゼル凱旋門は、ナポレオンの前年の勝利を祝し、1806〜08年に建設された。凱旋門から覗くとコンコルド広場のオベリスクが見え、その奥に2倍の大きさがある有名なエトワール凱旋門が一直線に見える。
チュイルリー公園は、ルーブル宮殿の西にありパリ・コンミューンで焼け落ちたチュイルリー宮殿の庭園だった。両脇が芝生で、真ん中の広々とした歩道を歩き、大噴水の先にオベリスクが立つコンコルド広場へ出る。コンコルド広場は当初ルイ15世の騎馬像が設置されていたが、フランス革命で撤去され、革命広場となった。ここでルイ16世、マリーアントワネットが断首された刑場でもあった。
コンコルド広場からセーヌ川に架かるコンコルド橋を渡ると下院の国民議会(ブルボン宮)で、左折してセーヌ川沿いのアナトール・フランス通りを歩く。セーヌ川観光船や、米国3代大統領 トーマス ジェファーソン像が南詰に飾られた鋼鉄製の歩道橋であるレオポール・セダール・サンゴール橋、スフインクス像があるレジオン・ドヌール宮と進み、かつての駅舎を利用した美術館で、印象派絵画が充実しているオルセー美術館に至る。
セーヌ川沿いのアナトール・フランス通りを歩き、ルーブル美術館のデゥノン翼が向かいに見えるロワイヤル橋を過ぎ、カルーゼル橋を渡り、ルーブル美術館のカルーゼル広場を通り抜け、オペラ通りを北上する。オペラ座のオペラ広場で左折、オーベル通りを通り、ギャラリー
ラファイエット百貨店前で右折、オスマン通りを東進してホテルへ向かう。
【モン・サン・ミッシェル散策H240331】
7時半にホテルを出て、12時過ぎに着く4時間半のバス旅行である。有名なエトワール凱旋門の右を通り抜けパリ市内を出て、高速道路でモン・サン・ミッシェルへ向かう。今回のツアーで唯一天気が良くなく、9時過ぎから霧が急に出てきて一時は歯科視界20m程になった。モン・サン・ミッシェル手前で晴れ間が広がり、モン・サン・ミッシェルの堤防前でに入る前にふわふわオムレツが名物のレストランに寄る。食事をする前はきれいに晴れていたが、次第に雲が出てきてモン・サン・ミッシェルもぼやけてきた。
駐車場から見たモン・サン・ミッシェルは、如何にも中世には要塞としての機能も持っていた、と感じさせる光景である。大通り門から参道に入ると名物のプラールおばさんの「ふわふわオムレツ」店があり、王の門を抜けると土産物店が並ぶ狭い参道で、階段を上って行く。参道の終わりにジャンヌダルクの像が立つサン・ピエール教会があり、美しいステンドグラスや竜を退治するサン・ミッシェル(大天使ミカエル)像がある。
サン・ピエール教会から狭い階段を上リ続け、修道院の哨兵の門から急な階段を上るとチケット売り場である。大階段を上り、付属教会正面へ向かう。修道院前からの風景は、断崖絶壁からの光景である。
付属教会前の西テラスから見ると、干潟で遊ぶ観光客がいるが、これは昔潮の満ち引きで溺死した巡礼者などと同じ状況とのことである。高い天井、林立する列柱が荘厳さを醸し出す付属教会の聖堂を見物後、13世紀に増築されたが、その装飾の美しさからラ・メルヴェイユ(驚嘆)と呼ばれる修道院の居住区画に向かう。ラ・メルヴェイユ(驚嘆)の庭園と柱列廊を通り、その広さにただただ驚く修道士の食堂に至る。
修道士の食堂の下に撤去されているが暖炉跡がある王侯・騎士の食堂があり、付属教会の地下墓地。荷物昇降用の大車輪が残る地下倉庫と巡る。地下墓地、地下倉庫とも単なる広場である。聖ミカエル騎士団の騎士室、ガイドブック、土産物販売コーナーと経て、城壁沿いの道をを下り、サン・ピエール教会、王の門と過ぎて大通り門から出る。
3時間ほどのモン・サン・ミッシェル滞在を終え、高速道路でパリに戻る。行きと違い霧はないが、曇り空である。パリ市内に入る手前で事故渋滞に巻き込まれるが、運転手の機転でコースを変更し、セーヌ川沿いに走り、エッフェル塔、コンコルド広場、オペラ座と経て、ホテルに戻る。
【パリ散策(エッフェル塔、モンマルトル、オペラ座)H240401】
ホテル・アンバサダーからオスマン通りを東進、ギャラリー・ラファイエット百貨店前交差点で左折して、ラ・ファイエット通りを南下 オペラ座の東側からオペラ通りを南下する。パリには日本のように銀座四丁目交差点などの交差点名が表示されていない。そのため赤い日除けテントがある「ROYAL OPERA」の右を通りピラミッド通りへ進み南下、マイバス社に至る。
ルーブル美術館のカルーゼル凱旋門前を通り、セーヌ川河畔のラ・コンシェルジェリー、パリ市役所、ポンピドーセンターと過ぎ、セーヌ川河畔のノートルダム寺院、リュクサンブール公園と周ってセーヌ川沿いのアナトール・フランス通りに出る。第1日曜で入場無料のため長蛇の列のオルセー美術館を過ぎ、コンコルド広場からシャンゼリゼ大通りに入り、マリニー劇場を経て、エッフェル塔に向かう。
わずか10分間の下車見物なので、エッフェル塔の下まで往復する程度である。シャン・ド・マルス公園は1855年以来何度も万国博が開かれた場所で、北西の端にエッフェル塔がある。
エッフェル塔からコンコルド広場を経てシャンゼリゼ大通りに入り、凱旋門を通りモンマルトルに向かう。駐車場からサクレ・クール寺院へ向かう。
ケーブルカーに乗り、丘の上のサクレ・クール寺院に入る。完成からまだ100年に満たない寺院であるが、白亜の美しい寺院である。寺院は日曜のミサで警備員が静謐を保つよう努めており、ガイドの説明もなく、ただ許された巡回路を廻るだけだった。寺院の左にテルトル広場(画家の広場)があり、レストランや土産物店が並ぶが、道には多くの画家が並び、似顔絵を描いている。帰りはケーブルカーを使わず、長い階段を下りる。
見物後、観光バスからムーラン・ルージュなどのモンマルトルの歓楽街を見つつ、マイバス社に戻る。
観光バスから降り、ルーブル美術館前の噴水から北上し、オペラ座(正面)で左折、オーベル通りへ進んでオペラ座(西側)入口から内部見学に参加する。別ページにまとめたオペラ座を見物後、オペラ広場からオーベル通りへ戻り、ギャラリー
ラファイエット百貨店前交差点で右折、オスマン通りを東進してホテルに戻り、帰国のための準備を行う。
ガルニエ宮を改造したオペラ座は、公演がない時は内部を見学できる。見学入口階の受付には英仏独伊西の5ヶ国のパンフレットがあるが、日本語は一時的に切れているとのことであった。受付を済ませて中へ進み、半円球のドーム屋根が付いた常連客のロトンダ、ピュティアの泉と進み、大階段を上るが、途中に座席の等級に応じて設けられた座席制限の入口がある。上ると博物館があり、扉が並ぶ廊下を歩いて客席に入る。客席は金の豪華な装飾や、シャガールの天井画が目を奪う。
2階の客席前の廊下から見下ろす大階段は大きいだけでなく、手すりの柱の立派な彫刻や天井を飾る天井画、シャンデリアが見事である。客席を出るとグラン・ホワイエと呼ばれる壮麗な天井画やシャンデリヤで飾られたロビーで、その先にロッジ(回廊)と呼ばれる片側または両側が柱だけで吹放ちの廊下があり、そこからオペラ広場が一望できる。大階段を降り、見学入口階の子供用のバレーの服、靴の他に、オペラ公演のDVDやCD、オペラ座のガイドブックが売られているショップに寄って外に出る。
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